2016.07.04

よく働く日本人として「仕事が好き」と言いたい


先日バレンシアでできた友人と飲んでいた。彼らはバレンシア出身のスペイン人で、日本にもきたことがある人たちだ。

ふとした話題から彼らはこんなことを話はじめた。

「日本はサービスがいいよね。日本のショップ店員とかすごく頻繁に声をかけてくるからびっくりした」
「あの人たちはきっとものすごく疲れるだろうね」
「たしかに。スペインなんてお店に入っても、店員が電話してたり友達と話してたり時には店員が店にちゃんといなかったりするよね(笑)」
「そうそう。同じ”働く”ならスペインのほうがいいよね」と。


途中まではウンウンと聞いていたのに最後の結論に至った瞬間、わたしは酔った頭だったにもかかわらず「そう!?」と思わず反論した。「だって楽じゃん! 残業もないし」と彼らは言う。「とんでもない。正直退屈そうに見える」。……そこまでは言えなかったけど確かにそう思った。それに「仕事においての楽しさを知らないなんてもったいない」とも正直思った。

IMG_4514
「日本人は働きすぎ」「残業はかわいそう」「満員電車なんてクレイジー」「地下鉄の人は暗い顔をしてた」「それにさえりだって、このまえ誘った時仕事が忙しくてこれないって言ってて、かわいそうだった」。

そのどれにももちろん反論なんてできない。でも、わたしは仕事をするのが好きなのだ。これは「今の仕事が好きか」という話ではない。前職もその前も、そしてバイトの時もそう。誰のためにもならない日々を送っているよりも、少しでも誰かのためになる働きをしているほうが心が喜ぶ。自分で頭を使えるほど仕事は楽しく、ただのバイトでも「よりよく」するために考えを巡らせる時は本当に楽しい。

きっと自分の長すぎる人生においてきちんと”やるべきこと”があるということも、よりよく改善したりよりよい反応が得られたりすることも、そしてそのために頭を使ったりすることも好きなのだ。その結果誰かが喜んでくれることにも、嬉しさを感じられる。そういう意味で根本的に「働く」という行為が好きな人は、日本には多いとわたしは思う(この”働く”には無論家事も含まれる)。たとえ「いや、僕は働きたくない。楽な仕事をしたい」と思っているひとがいても、「無意味な動作を40年続け同じ給料をもらう生活」をしたいとは思わないんじゃないかしら。「働きたくない」の多くの人はきっと疲れすぎて休みがほしいだけで、根本は「仕事が好きで仕事を楽しみたい」という人も多いのではないか。


バレンシアにいると(ここが平和すぎて)あまり働こうという気にならず、それに徐々に焦る自分もいる。きっと「働きたいのだ」と気づいた。(こっちでも仕事しているけれど)少し羽を休めたら、また走り出したくなってしまう。そんなものなのかもしれない。
IMG_4231

いままで海外で「日本人は仕事をたくさんするよね」と言われるたびに「そうなの」と悲しそうな顔で答えてきたことを反省した。きっとわたしのように「あぁ〜働かなきゃ働かなきゃ」と悲しげな顔をしている日本人を彼らは多く見すぎたのだ。「働く」が「楽しい」なんてきっと思っていない。

わたしたちは生まれながらの身分で仕事が決まったりしない。自分である程度、仕事を選べるし、転職だってできる。自分のなかで何を優先したいかを考え、職を選んでいる(はずだ)。ニコニコ働いて頬の筋肉が痛くなっても、時に理不尽な目にあっても、それでもその仕事をいつまでもやめないのはやっぱり「好き」だからだ。いくら「生活のため」「やめられないから」と言っても、それを自分で選んでいるという事実は変えられない。
なのに「働く=つらい”だけ”」なんて、そんなの悲しい。「あの日の誘い」に行けないことがあっても、「友人との飲み会」に顔を出せないことがあっても、働くことで違う楽しさを得ている、としっかり気づきたい。


よく働く日本人のひとりとして「日本人はよく働くね」に対して「時につらいけど、でも働くのが好きなのよ」と嬉しそうに言いたい。そしてそれを偽りなく言えるような働き方もしていたい。


「働くの、わたしは好きよ」と言った。彼らは「そう?」と首をかしげた。わたしは彼らのその顔を横目にグラスに入ったビールを飲み干す。「そう。わたしが思うに働くって楽しいものなのよ」。


お仕事の依頼はこちらからどうぞ。

SAERI908[a]GMAIL