2016.05.27

仄かな孤独と清々しさ


スペインのバレンシアに来ている。旅行ではなく、暮らしに。
ここは英語がほとんど通じない。もちろんわたしは、スペイン語が話せない。


海外に住んでみたいという夢は昔からあって、でもお金や時間や勇気などの現実的要素を組み合わせるととてもじゃないけれど行く機会がなかった。


それが思わぬタイミングで、「今ならいける」という瞬間が訪れた。(関連:【さえりさん:ことばとわたしたち】 #3「夢に逃げるな。夢は選択するものなんだから」


「今だ」というタイミングを見つけてからは心は揺らがなかった。2年半住んだ自由が丘のシェアハウスを引き払い、今本当にスペインのバレンシアにいる。


 

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出発する直前まではとにかく忙しかった。原稿の締め切りはせまるし、手伝いの申し出を頑なに断ったせいで引っ越しの準備はすべて一人でやった。たった8畳の部屋に住んでいたのに、わたしの段ボールはなんと19個分にもなった(メリーポピンズのカバンかと思った)。


それらすべてを自分で詰めすべてを二階から降ろす作業は容易ではなかったし、筋肉のないわたしの腕はすぐに震えた。


それでも、「大丈夫」と言い続け、手伝いを断ったのには「自分でできる」という気持ちだけでなく「こんなの、なんてことない」と思いたかったからかもしれない。


とにかく感慨深くなるのを避けていた。これは日常の延長線上なんだ、と言い聞かせていた。


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それゆえに出発する直前まで全く実感もわかず、出発3日前に泊まるところを決め、飛行機に乗り込むまではなにも感じなかった。


たぶん、それよりもその他のことに気を取られていたというほうが正しい。
原稿のこと、日本での生活のこと、うまくいかなかった昔の恋のこと。


いろんなことが頭の中でわめいていて、わたしは自分の身の上をしっかり把握する暇さえなかったのだと思う。あるいは、実感してしまうことを避けていたのかもしれないけれど。


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飛行機が加速をはじめ、ゴゴゴゴと車輪の摩擦の音が聞こえるころはじめて


「とんでもないことになった」と思った。


わくわくや楽しみとはほど遠い、心がねじ切れそうなくらいに孤独で不安な気持ち。実際の生活を想像し、言葉が通じない自分を想像し、日本に置いてきたいろいろなことを想像し、この自由と引き換えに得られない安定を想像し、わたしはこんなことがしたかったんじゃない、とさえ思った。


シートベルトの着用サインが消えても「マイインターン」を見ても、とにもかくにも心は沈んだ。なんだよ不倫しといて「やっぱ君が大事」なんて、陳腐すぎやしないか。


トルコのイスタンブールに到着するころにも暗い気持ちは拭えず、むしろ何もかもに悪態をついた。心のなかでひっそりと。寝ても覚めても「どうして誰もわたしを日本につなぎとめておいてくれなかったんだろう」と思っていた。なにか具体的な辛さがあるわけじゃなかった。闇雲に不安要素を引っ張り出した。


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現地時間の、朝の5時。
トルコの空港にトランジットで降り立つ。


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そこでふっと心の重みが消えるのを感じた。すっと自分が足元から再度入っていくような、「自分がだんだんと取り戻される」ような感覚。


ああ、そう、これこれ。わたしはこれでいいんだった。


なにかそんなことを思いながら広いとはいえないアタチュルク空港内を散歩していた。徐々に心がシャンと立っていく。


じつは3年間にもアタチュルク空港に来ていた。そのときは初めての「海外一人旅行」で、行き先はスペインのアンダルシア地方だった。
そのときもらえたスタバのWifiはもらえなくなっていたし、そのとき「おいしすぎる!」とおもったパイは塩辛くてとても食べきれなかったけれど、それでもなにか清々しい気持ちになっていた。


なににも縛られない喜び。さっきと思い切り矛盾しているけれど。


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わたしがこのままスペインに行こうか、それともやめてトルコで降りてしまおうが、(原稿の納品さえ行えば)誰もなにも咎めない。だってだれもわたしを待っていないのだから。


それは仄かに孤独で、それでいて今しか感じられない贅沢のような気がした。


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はじめてたどり着いたバレンシア空港は、こじんまりとしているもののさみしくはなく、とても「良い予感」がした。
順調にタクシーを拾い、窓から青い空に走る2本の飛行機を見ていたら「大丈夫だ」と思った。2本の飛行機雲は並行に、きれいな道を作っていった。


事前に連絡を忘れたせいで入れなかったホテルにも周囲の人が助けてくれてー彼女はわざわざわたしの代わりに電話で問い合わせてくれたー、無事にホテルに入ることができた。「良い予感」のおかげか、言葉が通じなくてもちっとも泣きたくならなかった。


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アパートメント型の部屋。自分だけのトイレも、お風呂も、キッチンもある。しかもベッドはダブルベッド。少し値段がはるけれど(1週間で5万近くする)、街どこへでも歩いていける。
ここで日本から持ってきてしまった仕事たちを片付けていくのだと思うと、心が躍った。


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そして滞在すること3日。
少しずつバレンシアのことが分かってきた。


気温は21度程度で、カラッとしていて日差しが強い。雨が降ることは滅多にないらしく、朝が来れば外は陽気に光り出す。
わたしはドライヤーを持っていないので、出かける前にシャワーを浴びてお日様の光りで髪を乾かしている。果物がとても安いので、毎日果物を食べてもお財布も泣かない。


21時に日の入りで日の出は6時。夜も街は陽気で、昼はテラスで皆ご飯をたべる。「寂しさ」を感じさせない土台がここにはある。
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2ヶ月後の帰りのチケットは取っている。
けれど、今のアパートは1週間しか契約していない。
わたしはこのままバレンシアに残っても、スペインを出て行っても、嫌になって帰っても、逆に帰らなくなってもいい。


誰憚ることなく、自分の心持ちだけで生きられる清々しさ。


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そんな自由が果たして本当にしあわせか。飛行機の中で何度も問いかけたけれど、やっぱりここで朝早くに起きて原稿を書いて、シエスタに従ってお昼寝すれば「しあわせ」を感じる。朝食べる安すぎるチェリーもしあわせの粒な気がする。


あと2ヶ月もある。その間に何かが変わったり、変わらなかったりするんだろう。仄かな孤独が力を持つ夜もあるとおもう。それでもバレンシアにいれば、お日様の光で髪を乾かす明日が来る。


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